ボルツァーノ その2 二重言語都市の趣や如何に?

そもそもプリンセスはアルト・アディジェ(=南チロル)を「アルプス山中にある冷涼産地」と勝手に信じ込んでおり、冷涼産地としては「どうにも腑に落ちない」所だと感じていました。

…というのは;

1.これまで味わったアルト・アディジェのワインの冷涼度は、ドイツやオーストリア、アルザスにすら遠く及ばないのを不思議に思っていました。

2.正真正銘アルプス山中の産地で、多くのワイナリーがカベルネやメルロといったボルドー系品種を造り、それがまた結構なレベルのワインであることも不可解でした。

3.さらなる謎が、日本に入っているトップワイナリーが、テルラーノ、トラミン、コルテレンツィオ、St ミケーレ・アッピアーノなどの協同組合であること。協同組合でなくともアロイス・ラーゲデアやホーフシュテッターなど規模の比較的大きな生産者ばかり。尖った小規模生産者は存在しないのでしょうか?

 

往生際の悪いプリンセスは、現地の土を踏みボルツァーノが亜熱帯と判明しても、それでもなお「ワイナリーとその畑は、街周辺のより標高の高い(=気温の低い)山々の斜面にあるはずだ」と固く信じ、『アルト・アディジェの冷涼ワイン』を諦めていませんでした。依然狙い目は酸とミネラルを主体とした冷涼感溢れる白。付録としてエレガントな赤…。それもエッジーな生産者のものがあるといいなぁ…、と。

 

一方でアルト・アディジェの特殊な歴史――中世以来のドイツ語文化圏で、第一次大戦後イタリアとなるまではハプスブルク帝国の一部であり、それ以降、そして今も伊独二重言語地域である――にも惹かれていました。早い話が「ハプスブルク文化の優雅とイタリア文化の洒脱の合体した、とっても素敵な場所なのではないか」と期待していたのです。ラテンとゲルマンとスラヴの交差するトリエステも思った通り趣深い街でしたしね。

 

折しも南チロルはワイン祭りの真最中。ボルツァーノのパブやらワインショップを冷やかし、イベントバスに乗り込んで集中的に色々な生産者を訪ねることで、車窓からできるだけ町や畑の様子を観察し、少しでも多くのワインを味わうことにしました。

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ボルツァーノ その1 やっぱり実際に行ってみないと…

ヴェローナからボルツァーノへ電車で向かったプリンセス。

不思議なことにヴェローナ駅には、入口正面のメイン切符売場脇の奥まった場所にÖBB(謂わばオーストリアのJR)Deutsche Bahn(ドイツのJR)合体の切符予約&販売専用のブースがあり(当然ドイツ語が通じます)、そこで切符を買えば、普段オーストリア国内で使っている割引カードが一部適用されることを発見。ラッキー! 

…と喜びつつ、ヴェローナという場所が、いかにドイツ語圏(特にドイツとオーバーエスタライヒ)からイタリアへの窓口として重要な位置にあるかに改めて気づかされます。

 

ところでプリンセスの今回の旅は、旧ハプスブルク帝国内の主要ワイン産地の文化風俗に触れることが目的でした。食というものはあらゆる文化の中でも最も保守的なもの故、ハプスブルク時代の尻尾が思わぬ場所や料理、飲み物に残っているかも、という期待もありました。

 

ウィーン→グラーツ(シュタイヤーマーク)→トリエステ(フリウリ・ヴェネチア・ジュリア)→ヴェニス→ヴェローナ(ヴァルポリチェッラ)→ボルツァーノ(トレンティーノ・アルト・アディジェ)→ザルツブルク(ここはビール)→ウィーン――という順序でグルリと電車で回ったのですが、無学なプリンセスは「全訪問地の中で一番寒い場所がこのボルツァーノのはず」と勝手に思い込んでいたのです。

ヴェローナからボルツァーノへは一方的に北上する訳だし、ドロミテ山塊のど真ん中にあるからには恐らく1000mに迫る標高のはず。ここでググーンと気温は下がるのだろうなぁ、と想像していました。

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ヴァルポリチェッラは楽しい その3 サラミで納得!

ヴァルポリチェッラに滞在している間中、プリンセスは「何故ローマ(一説によるとギリシャ)時代の昔から、この一帯ではブドウを乾かしてから醸造するという手法が定着したか」について思い巡らせていました。勿論、訪ねた5ワイナリー全てで、バカの一つ覚えの如く同じ問いを繰り返してもいました。

曰く「コルヴィーナの弱いタンニンを補う」「長期熟成タイプのワインとしての物性的&味わい上のバランスを得る」「風味を凝縮させる」…。どれも正しいのでしょう。

でもそれなら、ブルゴーニュでもピノのアパッシメントが伝統製法として普及しても良かったはず…。

 

…釈然としないまま、ネグラール最後の朝を迎えます。

連日素朴ながら美味しいお手製の食材の数々が並ぶ朝食のテーブル。

…そうそう、これです、これです! プリンセスがぞっこんの半生サラミ!!

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ヴァルポリチェッラは楽しい!その3 クインタレッリ強襲 part2

さあ、Quintarelliでのテイスティングの始まり、始まり!

 

最初のワインはBianco Secco 2011。ガルガネーガ、トレッビアーノ、SB、CHなど5品種から造られるクインタレッリ唯一の白ワイン。

柔からな酸、芳醇な果実味…やはり北のワインとは一味違います。最高のブドウ造りに労力を注ぎ、醸造は極力自然に任せるシンプルな技法が味わいからも伺える素直さと奥行。一口で言えばすっきり円やかな個性。

 

プリンセスの目はワインを注ぐフランチェスコの、揺るぎない動きにくぎ付け。そして口と頭は柔軟で伸びの良い、粒子の細かい、優しくて深く芳醇なクインタレッリ・ワールドに沈潜。

…その結果、この最初のワインからテイスティングが終わるまで、彼がワインについて何を語ったのか、語らなかったのか、プリンセスのノートには断片的な単語が少数書きつけられるのみ

 

何はともあれ、フランチェスコのお手前を思わせる美しい所作をご覧いただきましょう! 隣席のVIP顧客が「御爺さんと全く同じ注ぎ方だね」と嬉しそうに頷いていたその所作を。

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ヴァルポリチェッラは楽しい! その2 クイタレッリ強襲 part1

そうそう、イタリア訪問記が途中でプッツリ途絶えていることに今気づきました。早速挽回します : )

 

ヴェローナに入りB&Bへ向かう車の中で、オーナーのパオラがなんとあのクインタレッリに翌朝のまさかの訪問アポを入れてくれてしまったことは、ヴァルポリチェッラ編その1で書きましたね。

かなり無理くり入れてくれたアポであることは、電話中「ジャーナリスト、ジャーナリスト」と、何度も繰り返していることからも想像がつきます。

「あー、ブログ以外に発表の宛もないのに申し訳ないなぁ…。クインタレッリを訪問できるなら、もっと色々予習して来るんだったなぁ…」などと、色々思ってみても後の祭り。ここはまな板の鯉で、とにかくプリンセスにとっては世界一のアマローネとレチョートを造る生産者の見せていただけるもの、味わわせていただけるものを、できるだけしっかり全神経を研ぎ澄ませて受け止めたい、と気を引き締めて出かけました。

 

ネグラールのワイナリーで我々を迎えてくれたのは、昨年亡くなったジュセッペの孫にあたるフランチェスコ。どうやらこの日、ジュゼッペ御大の代からのVIP顧客の訪問予定が入っていたらしく、そこに混ぜてもらえた模様。彼らとのテイスティングが始まるまでのほんの数分間、ワイナリーの屋上から一望できる畑を見ながら、幾つか質問をすることができました。 

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アパート探し御難続き…

vinologue読者の皆さん、ちょっと遅れましたがただいま~!

 

さて、アパート探し騒動の続きでしたね。

本当はもう思い出すのもいまいましいのですが、デトックス効果を期待し:)、連続して起こった「なんだかなぁ」な出来事を書き留めておきます。コトがコトだけに長文です。

 

最初の事件はImmobilien Scout 24.atというオーストリアのアパマンショップみたいなサイトを舞台に起こります。

プリンセスが興味を持ったのは邸宅街地区として知られる18区の75平米の物件。しかも家賃が超格安。他の物件がこれでもか、これでもか、と物件特徴をドイツ語で(当然ですけど)アピールしているのに対し、この物件は写真なし。説明も一切なし。タイトルに「閑静、日当たり良し、素晴らしい邸宅エリア」と、ただ書いてありました。

 

とにかく大車輪で数多くの物件の説明を読み、契約条件など細則を理解するのにいささかウンザリしていたプリンセスには、このシンプルさが魅力に映りました。なんだか貸主の自信の表れのように感じたのです。ときどきこういう好物件が、お金持ちだったりしっかりとした定収入の保証された欲のない知識労働者(医者だの弁護士だの建築家だの大学教授だの…)の気まぐれで、思わぬ低賃料で貸しに出ていたりすることもあるので、そういうラッキーの匂いを嗅ぎつけた、とでも言いましょうか。

 

で、興味があるのでコンタクトを取ってくれるよう、サイト上で申込。すると半日と置かずに以下のようなemailが(重要点のみ要約);

「私の物件に興味を持って下さって有難うございます。―中略(貸主の自己紹介:イギリスの薬剤エンジニアで、ウィーンに2年赴任した際に、アパートを借りる代わりにこの物件を購入した経緯など)―。私の物件をクリーンで信用のおける人物に貸したいため、あなたについて少し知る必要があります(職業、安定収入の有無、年収、趣味、etc)…。」

 

そういう訳でプリンセスは、自分がしがないフリーランスであること、この数か月で円=ユーロ為替は3割以上動いていること、などを添え、ここの3年の収入を伝えるメールを送りました。

すると間髪を入れず、「もちろんあなたをテナントとして迎えたいと思います。ただ、私はイギリス在住で非常に多忙なため、アパートをすぐに見てもらうことができません。が、何らかの手段を講じましょう。」とのメール。

とにかく早くアパートを決めたいプリンセス。「ではアパートを拝見する手順、契約条件やら支払方法の詳細をお知らせ下さい」と、意欲満々のメールを返信。

 

その返信メールで彼は「私のアパートはイギリスの不動産管理会社の管理下にあり、管理会社にあなたが住人候補者であることを登録する必要がある。ついては住所と氏名、電話番号を知らせてくれ」と書いて来ます。

 

プリンセス、気持ちが目一杯前のめりですから、すぐに住所、氏名、電話番号を返信しようとして…

しかし、ちょっと待てよ…??! と立ち止まりました。

 

ウィーンで独り暮らしを始めて以来、色々な交渉事で「しまった!」と思った場面も多く、少し慎重になっていたのです。

「アパートを見る前に、契約書に住所、氏名、電話番号を記入する、だなんて有り得ない…」と、我に返りました。メールには連絡先の電話番号すら記されていません。

 

一転「怪しいな、これ」と訝り始めた訳です。

 

そこで「まずアパートを見せて下さい。いつ拝見できますか?」というメールを送ります。すると「管理会社から鍵を送ってもらうために、保証金として€1200の入金が最初に必要。」という返事が、これまた間髪入れずに返って来ます。

 

「やっぱりね~」と一挙に覚めてしまったプリンセス。「アパートを見て、そこが気に入って、そこに住むと決心する以前に、いかなる契約書やら申込書にサインや登録をする気はないし、前金や保証金を払う積りもありません」と宣言。そして一応「保証金なしにアパートを拝見する方法はないのですか?」と、ダメ押ししてみます。

勿論答えは「それが唯一の方法です」。

 

まさか「入居希望者全員から鍵の保証金1200ユーロを取り立ててから、アパートを見せる」だなんてアホな方法で真剣に入居人を探しているとは思えません。これはほぼ確実に犯罪でしょう。…Phew、引っ掛からずに済んで良かった…。

 

と思っていたのもつかの間。トラブルは連続でプリンセスを襲います。

 

実は、プリンセスの宿である長期滞在アパートでは、プリンセスが旅行から戻ると、日曜を除く毎日けたたましい改築工事が行われていました。物凄いドリル音! 酷いときには自室に穴を開ける作業のため、部屋を数時間空けねばならぬ羽目にも遭いました。

最初は「数日なら」と大目に見ていましたが、これからずっと続くようなことがあっては困ります。何度も工事は静かにして欲しいこと、ドリルは客である私が出るまで止めて欲しいと申し入れました。

一見腰が低く当たりの柔らかいオーナーは、その度に「なるべく静かにやる」と言うのですが、ドリル音は一向に止まらず。

 

そしてある日、またまた朝からすぐ隣の部屋でガガガガとドリリングが始まったので、作業を監督していたオーナーの母親に苦情を入れます。

いつものようにのらりくらりと対応するので、「これは耐えられない騒音です。今すぐドリルは止めて下さい。そして私はあと1週間しかここに滞在しないので、その間ドリルはしないと約束して下さい。」と詰め寄ります。

するとこの母親の返事は「客の予定が入っているから工事はやめられない」

そこでプリンセス「私も客です。客の居る間はドリルだけは止めて下さい」

ここで初めてオーナー母は「止めません」とキッパリ返答。そしてあろうことか、「気に入らないなら出て行けばいい。これから1週間分は返金してやる」と、付け加えました。荷物のある私にはそう簡単に他へは移れないだろう、というヒトの弱みに付け込んでの発言であることは間違いありません。

 

確かに「荷物」がプリンセスの大きな足枷になっていました。身一つでホテルでも予約してパッと宿を移す選択肢のない私には、そのまま騒音に耐えるしか方法がありませんでした。悔しいじゃあありませんか…。

けれど捨てる神あれば拾う神あり、で、日本に戻る丁度1週間前の日曜。有難いことにウィーン在住の知人が荷物を預かってくれることになりました。

 

そして荷物を移す火曜の朝、果たしていつものドリル作業が始まりました。

 

そこでプリンセス、日本に帰るまでの5日間の宿をネットにて速攻で確保。今すぐアパートを退出するから返金の用意をするよう、申し入れます。勿論彼女は「だったら今すぐ荷物を全て引き払ってくれ」と予想通りの対応。ふふふ、ではお望み通りに致しましょう。

 

ざまあみろ、クソババァ!!!

 …と、とっとと荷物を畳んでアパートを出る段取りだったのです。

 

ところがこの運送屋とまたひと悶着。料金は時間単位の契約で、1時間まで、1時間15分まで、2時間まで、という区切りになっていました。

ウィーン市街中の真昼の移動ですし、荷物は極端に少ないし、本来ドライバー一人でも1時間で十分の作業量&距離のはず。それをどういう訳か約束の時間から1時間以上遅れ、3人(全員おそらくトルコ人)で現れ、とろとろとろとろ作業をしています。しかもそのうちの一人はほとんどiPhoneにかかりっきり。

 

果たして車は1時間ちょっと過ぎたところで目的地に到着(客の同乗は拒みますから、どこかで時間を潰していても証拠がありません)。それなら、とこちらも1時間15分ちょっと前まで作業をさせ、精算をしてもらおうとすると;

運送屋「1時間を過ぎたので2時間分になります」

私「1時間15分で作業は終っているでしょ」

運送屋「3人で来ているし、もう1時間15分を過ぎている」

私「誰が3人来てくれ、って頼みましたか? しかも一人はほとんど働いていないでしょ。それに作業は1時間15分になる前に止めてもらっています。」

 

…そういうレベルの低い小競り合い、最後は怒鳴り合いが続きます。あー疲れた…。

 

そして、話は肝心のアパート探しに戻ります。

ようやくサイトと不動産屋を介し適当な物件を見つけ、契約を進めようとしたところ、通常敷金3か月+礼金2か月で済むはずの入居時一時金が、プリンセスの場合、1)外国人である→敷金は6か月 2)フリーなので通常契約に添付する給与証明がない→前家賃として1年分を支払う、という過酷な条件を突き付けられました…。

 

銀行の残高証明を給与証明の代用にする段取りを不動産屋と銀行の3者で行おうとし、誤解のないよう不動産屋の担当者を英語堪能のスタッフに代えて欲しい、と申し入れると、現担当者は怖いくらいに気色ばみ、交代を拒否。彼を介して進めていた、入りたかった物件の契約作業は、彼に握り潰されてしまった模様。

数日後に彼の上司に進捗状況を尋ねると「その物件は既に入居者が決まっています」と、冷たい返答が…。

 

…そしてとうとう時間切れ!!!

 

アパートの契約のできぬまま、プリンセスは日本に戻って来たのであります。

怒涛のような理不尽に晒され続けたストレスか、1週間で30度近くの気温変動の身体負荷か、強烈な腰痛が現れては消え、という不穏な体調に陥りながら、なんとか戻って参りました…。いや、参ったぁ…。

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宿無し???

空港のゲートで中途半端に時間が余ったので、こうして久々にブログを更新しています。

 

随分御無沙汰してしまいました。

…プリンセスどうしたのかしら? …と心配してくれた人、いたかなぁ??

 

いやぁ、アパート探しが難航していましてね。

では、今日はまずその経緯からご報告します。

 

プリンセス、お城を出たのが2月の末。この時点で本当は次の住処を決めておくべきだったのですが、何せ車の運転できないプリンセスには物件をあちこち見る足がなく、また3月の日本帰国時の仕事の仕込みの忙しかったこともあり、4月半ばにこちらに戻ってからウィーンでアパート物件を当たることにしました。

正規に不動産屋を通すと、2か月の礼金、3か月の敷金(退却時に戻る)というのが相場なので、知人を介してこれら一時金をチャラにしたり圧縮しよう、というやり方が結構一般的。また、こちらは古い建物が多いので、水道管やら建付けの不具合やら、住んでみなければわからないことも多く、その点知人を介せばそうした不具合についても信用のおける情報が得られる、という訳です。

 

勿論プリンセスもそれにトラーイ! 

ただしワイナリー以外殆ど知人のいないプリンセス。…物件探しは遅々として進まず。紆余曲折あったのですが…。結局わかったのは、家賃の相場はオープンな情報から探そうが、知人を介してオーナー直で探そうが、ほとんど変わりない…。いや、場合によっては競争原理が働くだけ、公開情報の方が適性価格である場合も多い、という事実。また、仲介業者を通せば、契約は一応双方の権利を等しく尊重するような契約を公的に結ぶことになりますが、オーナー直の契約、或いは知人を通した非公式な賃貸の場合、往々にして見解が食い違った場合には、実質的には社会的或いは金銭的に立場の強い方に有利となりがちです。…当然オーナー有利、ということです。確かにオーナーと直接交渉すれば2か月の仲介業者への礼金を省くことができる、というのは事実ですけれど。

 

2か月の礼金って貧乏プリンセスにとっては大きい。1回の日墺往復航空運賃くらい? …で、まあ、ワイナリー関連の知人に相談を持ち掛け、めでたくオーナー直取引の物件も見つかり、後は契約のみ、というところまでこぎつけました。

そこでオーナーから言われたのが「契約期間は3年」。

プリンセス:3年以内に出たい場合は?(何か月前に知らせればいいか、という質問をした積りだったのですが、プリンセスの意に反して)

オーナー:3年分の家賃を全部支払って出てもらいます。

プリンス:…

 

しがないフリーランスの、高齢の母親を東京に置いてふらふらしているプリンセスとしては、そんな条件を飲むのはあまりに危険! …ということで、今リフォーム最中の、ピカピカ新装でケッテンブリュッガーガッセ駅から徒歩3分、バス停もすぐ裏通りにある、という立地にもかかわらず閑静な、50平米ほどで月€500、という滅茶苦茶好条件の物件を泣く泣く諦めたのが丁度1週間前。

 

そこからプリンセス、日本帰国までに何が何でもアパートを確保しよう、と大車輪! …一応お城で2年暮らしていたので、本やら冬の衣類やら…スーツケースひとつの身の上とは行かず…その置き場所だって確保して帰らねばなりません。

 

プリンセス絶体絶命!!!

 

…事件はそんな中、あらゆる手をつくして物件探しをして回っている最中に起こります。

次回に続く

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どひゃあ、暑い!!!

プリンセス、夏は日本に帰りたくない、涼しいオーストリアにいたい…、と常々思っておりました。

ところがどっこい。先週末からの暑さはどうでしょう!!! 

特に昨日は今年最高気温だったとかで、ウィーンのそこここで公式34度以上。場所によっては38度に達していたようです。…つまり、アスファルトの路上は軽く40度を超していたということ。

 

「そんな日にどうして???」と思うのですが、昨日プリンセスは日の出ている間ほとんど外出。冷房の効いていない、つまり天然オーブン状態のシュトラーセンバーンやらバスやらに揺られては、ギンギン太陽の照りつけるウィーンの路上をテクテク歩いていました。

おかげでニアリー熱射病状態…。

こちらの建物にはクーラーというものがありませんから、家に戻ってできることと言えば、冷たいビールを飲むことくらい…。 そして夜になっても暑さは収まらず、夜中まで玄関の戸を開け放つ訳にもいかず…。ウンウン、と眠れぬ夜を過ごし… ようやく涼やかな風が入って来たと思った朝4時頃、既に夜は白々と明け、アパート前のシュトラーセンバーンは運転を始め、今度は騒音で寝られません…。

 

あーもうなんとかして!!

 

思い起こせば、昨年冬、気温がマイナス20度を記録した日も、ヒルシュやブリュンドゥルマイヤーを歩遥々歩いて訪ね、大風邪をひきましたっけ…。

 

大陸性気候の恐ろしさを身に染みて感じるプリンセスであります。 ふぅ…

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ヴァルポリチェッラは楽しい! その1 ニコリス

ヴェローナ駅でピックアップされたのは――2時の予定だったのに――もう4時過ぎていたし、ヴァルポリチェッラ初日はゆっくり宿で休む積りでいました。

そもそも今回の旅は100%観光旅行のはずで、ワイン産地を訪ねるにしろ、取材のようなことはする積りもなく、自転車で産地を走り回り、気候と土壌のアタリでも付けば満足、と思っており、アポも入れていませんでした。


ところが、宿への車中で「今日はこれからワイナリーに行かないのか?」と聞かれてしまいます。「行きたいワイナリーがあれば、連絡をするから遠慮なく言ってくれ」とも。挙句「ワイン・ジャーナリストとワイナリーを訪問すると私も勉強になるし」とまで言われてしまい…。

「そりゃあ、ネグラールで一番行きたいのはクインタレッリ」と臆面もなく言ってみます。

「うーん、ちょっとそれは特別なワイナリーだわねぇ…」と言いつつ、B & Bのオーナー、パオラはiPhoneを取り出し電話。イタリア語は皆目わかりませんが、何度もジャーナリスト“という言葉が挟まれています。そしてなんと、「今からは無理だけれど、明日朝ならOK」…って、「まさか今クインタレッリに電話してた訳?」。

 

…というわけで、あまりにあっけなく翌朝のクインタレッリ訪問が決定。宿への道すがら、勧められるままに、B & Bの隣町にあるNicolisというワイナリーへ。

どうやらパオラとニコリス家は懇意のよう。

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ヴェローナでゾンビ復活 : )

2週間にわたる今回の旅は、旧友がウィーンを訪れる機会を利用し、もうかれこれ10年余り縁のなかった、ワインとは一切無関係の、真から物見遊山な欧州観光旅行というやつをしてみよう、という気持ちから思い立ったものです。

ところが、貧乏性のプリンセスは常々職業上気になっていた場所――北東イタリアにあるハプスブルク文化圏のワイン産地――に結局は立ち寄ることに。

 

ワイン絡みの目的地はNegrarネグラールとBolzanoボルツァーノ。ご存知の通り前者はValpolicellaヴァルポリチェッラに、後者はAlto Adigeアルト・アディジェにあります。

 

ヴェニスからネグラールへの移動日。我々は駅でピックアップされる予定時間よりちょっと早めにヴェローナに入り、街歩きを楽しむことにしました。

 

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ヴェニスに死す 最終章

ヴェニスでのクライマックスは最終日の晩。

 

絢爛豪華でいかにもヴェネチアンな歴史的モニュメントで、プリンセスは壮絶なガッカリ体験をし、文字通り‟ヴェニスに死す”のです…。

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ヴェニスに死す 中編

部屋に着くなり既にゲンナリしていたプリンセス。少し休んで、気分を切り替えるべくサン・マルコ広場周辺の散策&夕食に出ることにしました。

 

ですが、超狭螺旋階段で5階から降りると目が回り、三半規管の弱いプリンセスには辛い…。

 

それにしても小汚い街です。

水際に並ぶ123世紀以来の特異な街並みと建造物がこうして今も残っていると思えば、確かに見物としては奇異度抜群! 建物の骨格や意匠には、この都市が遠くイスラム諸国との交易で栄華を極めていた片鱗を覗かせる絢爛豪華かつエグゾティックな魅力も沢山あることは認めましょう。

けれど狭苦しい路地に空が見えないほど次々に朽ちかけた建物が迫り来る様には…得も言われぬ不衛生感と腐敗感が充ち充ちます。

「まあねぇ…アッシェンバッハ教授もコレラで死んだ島だしねぇ…」と、妙な納得をするプリンセス。この小汚い路地&運河&建物の外壁を多少掃除するだけでも、高いイタリアの失業率減少への貢献が期待できるのではないか、などとも考えます。

 

※観光ガイドブックでは見られない、バッチいヴェニスをここでちょっとご覧いただきましょう。

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ヴェニスに死す 前編

トリエステの次の目的地はヴェニス。

 

ヴェニスと言えば…なんと言っても表題の映画。初めて観たのがおそらく高校3年生か大学一年生の多感な頃…。

当時退廃的パンクロックバンドでドラムスを叩いていたプリンセス的には、ヴィスコンティ監督のドイツ3部作――“地獄に落ちた勇者ども”“ルードヴィッヒ”そしてこの“ヴェニスに死す”――は、何か禁断の爛熟退廃美を見るが如く怪しい輝きを放ち…とにかく理屈抜きに近づき難く優美な、音と映像とストーリーの一体化した“美の頂点のシンボル”だったのです。

 

そして4半世紀の以上の時を経て、プリンセスは初めて現地の土を踏みました。

ヴェネチア・メストレから電車で海を横断し、ヴェネチア・サンタ・ルチア駅へ。そしてここからリアルト橋近くまで船で入ります。

プリンセスのイマジネーションはすっかり映画の中。

駅周辺がバッチかろうが、の対応が少しくらい悪かろうが(city mapが有料なiというのも珍しいけれど…)ノープロブレム! リアルト橋行の船がどれかわからず、迷っている隙に船が出てしまっても、乗り合わせた乗客や船の係員の言動が不調法でも、船上が超蒸し暑くとも、プリンセスは主演のアッシェンバッハ教授役のダーク・ボガードが、船上で淡いベージュの麻のスーツを着込み、汗を拭き拭き島を目指す場面や、船着場へ降り際に不気味な芸人と出会うシーンと自分を重ね合わせ、悦に入っておりました : )。

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トリエステですわ瀕死 : )

ランチの後、埠頭で寝転がってリラックス…
ランチの後、埠頭で寝転がってリラックス…
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