ヒードラー訪問記――それぞれの自然派 その3.不健康なビオ : ) の実例お見せします

<<前回 その2はヒードラーの目に見えない技の数々についてでした

 

シェンケンビヒルとシュタインハウスの畑を見学し、坂を下りてランゲンロイスの町も近づいた辺り、最後の方の緩斜面の畑を横切ったときのこと。


Ludwig 「見えるかい? 葉っぱが黄色や茶色になっていたり、枯れているのも多いだろう? 僕の畑じゃないんだけれど、あそこはビオなんだ。ビオは頻繁にボルドー液を撒かなくてはならないからね。で、硫酸銅が太陽光で熱せられるとああいう風に火傷状態になるのさ。」

Yukari「ちょっと近くで見ていい?」と車を降りる。

近寄ってみればピノ・ブランのようだけれど、異様に房も実も小さく、しかも未熟な青色を残している。食べてみれば、色から想像されるほど酸っぱくはないものの、先につまみ食いしたシェンケンビヒルのGVには遠く及びもつかぬ糖度と香味の乏しさ…。

L「はは、昨日今日の強烈な日光ででなんとか糖度は上がったね。つい数日前まで全く酸っぱいだけだったんだけど。」

実はルードヴィック・ヒードラーは、ご近所のフレッド・ロイマーやヨハネス・ヒルシュがコンサルタントの指導を仰ぎながらビオディナミに転換したのと同じ2006年、大学に通い有機農法のディプロマ過程を修めつつ、自分で試行錯誤しながらビオロジックへの転換を図っていました。元々彼はビオディナミを「自分にとってはあまりに秘教的」とし、もっと実践的な技法&その科学的根拠を模索していたようです。

 

ルードヴィックがその後の経緯を語ります。

――転換した2006年は誰にでも無農薬で素晴らしいブドウができたし、2007年もそうだった。そして認証のための最終年2008年がやってきた。畑中に蔓延するカビを見て薬を使わないのは自殺行為だと確信したよ。僕には家族も使用人もいる。彼らに対して責任があるからね。

僕にとって大切なのは、ビオであるかどうかより、どうしたらブドウが、畑が、そして我々家族とうちで働く人々が健康な状態でいられるか、その状態を維持できるか、ということなんだ。

だからもちろん除草剤や殺虫剤は一切使わないし、フェロモン攪乱など化学薬品に頼らずに病虫害を減らす方法を実行している。防カビ剤も、最小限を予防的に使用する手法を試しているよ。

それから、今のビオには問題があって、畑における栽培方法しか規定していないから、ビオを謳う多くのワイナリーが、セラーの中では発酵にも培養酵母を使っているし(注:ヒードラーでは全てのワインを自発的に発酵させる)、およそ好きなことがなんでもできてしまうんだよ。その意味で、デメターだけは醸造についても厳格で別格だけれど、ただのビオやレスペクトのワインは、本当に自然なワイン造りとは言えないと思っている。

次の世代はもっとこうした自然農法&醸造を推し進めるだろうし、それが彼らの課題ではないのかな。

※ビオとはビオロジック=オーガニックを意味しています。

 

…と、そんな具合に、有機農法を貫かなかった理由を尋ねる私に答えてくれた後だったこともあって、「有機農法でブドウを健康に保つ難しさ」の実例を敢えて見せてくれたのでしょう。


実は私、この手の話――これに認証のための事務経費を機材や栽培の労力に回したい、というのを加えたビオにしないイクスキューズ3題噺:)――をサステイナブルの生産者からうんざりするほど何度も聞かされています。それらがどうしても『遠吠え』『負け惜しみ』的に響きがちであることも確か。

だってビオ・ワイナリーの当主にも家族や従業員がいて、守る責任も同じようにあるでしょうが、それでも彼らは有機農法を最後まで貫くのですからね。それに、最初のステップとしての栽培のみビオ、というものだってあっていいでしょう…って。だったらあなたが栽培~醸造まで一貫したビオワインを造ってくれたらいいじゃないですか、って、思ってしまうのです。

 

なのになぜでしょう?

 

この人が言うと不思議なほど説得力がある。負け惜しみに聞こえない。それはルードヴィックが本当に自分で試し考えた結果、彼にとって最も自然を尊重した農法――認証上のビオか否かよりブドウの健康状態を最優先した――を、確信を持って実践しているからではないでしょうか。そして何より、その実践がやさしく伸びやかな、ヒードラーならではの美味しいワインに結実しているからでしょう。

 

原発事故を機にこちらに生活の拠点を移した私としては、では一体農薬は原発(=表向き幸せな暮らしを支えるように見えて、地球破滅へつながる超危険物)か、性質の悪い麻薬(一度使ったら一巻の終わり)のようなものなのか、それとも風邪薬 or 頭痛薬(=適宜用いれば生活改善に寄与し、特に甚大な副作用もなし)か、或いは電気(=今更これなしには文明生活は難しい)に近い存在なのか、常に頭の片隅にある疑問でした。

その答えはまだ出ていませんが、こういう畑を見せられると、少なくとも品質に関する限り、有機=高品質というのは幻想に過ぎない、ということがよくわかります。そして、ブドウや地球環境にとって最も健康的な状態を作るために、本当にビオはサステイナブルより優れている、と断言できるのかどうかすら結構怪しいものだ、とも思えて来るのです。

 

我々はもしかして、あまりにナイーヴに無農薬=よりおいしく、健康的で環境負荷が少ない、あるいは倫理的に善、と、自動的に信じ込み過ぎなのかも知れません。誰もが思考停止してそう考がちなところにこそ、実は大きな商機も存在する訳で、そこに上手に乗った不誠実なビオだって沢山存在する、という側面も、私たちは良くも悪くもきちんと理解したいものです。


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