シリア難民、続々とオーストリアへ

<<前回はゲヌースマイレ、2日目の模様でした

 

今日は本来、13日日曜日に参加した、ゲヌースマイレで最も人気の高いグンポルツキアヒェンからプァフシュテッテンへ抜ける(或は逆の)コースをご紹介しようと思っていたのですが、自分のやっていることがあまりに社会とかけ離れていることに違和感を覚え、テーマを変更してお送りします。とりとめなく長文になること、そして私の独語力ではどこまで事情が正確に理解できているか心もとないこと、等々お許しを。


今、オーストリアは大変なことになっています。

 

元々この夏、ヨーロッパは全土的にシリア難民が押し寄せて来た話題で持ち切りだったのですが、今月初めからその量に拍車がかかり、高速の路肩に冷蔵車が止まっていて異臭がしたので開けたら71人の難民が窒息死していた、とか、トライスキアヒェンという、そもそも2万人くらいしか人口のないウィーン近郊の(マンデルヘーエで有名なシュタードゥルマンがある)町に4千人の難民がおり、続々と増えている、とか、ウィーンのヴェストバーンホーフ(西駅)やらハウプトバーンホーフ(中央駅)にも、もの凄い数の難民が寝泊まりしている、というニュースが続いていました。

ただ、当初オーストリアはあくまでドイツへの通り道に過ぎなかった――難民の目的地はドイツだった――のです。

ところが13日にドイツは、これまでの「難民は全て受け入れる」方針から急転換。国境を封鎖し、警察が入国者を管理する態勢を敷いてしまいました。

そもそもハンガリーは難民受け入れを拒否しています。日曜にはドイツ国境封鎖も知らずかの地を目指す4500人もの難民が、グラーツから近いシュドブルゲンラント(ウヴェ・シーファーのとこ)のハイリゲンクロイツという国境の町に押し寄せ、夜を明かしたそうです。

 

さあ、どうする? 

オーストリアにはここ数日いくつもの町に毎日何百何千単位の難民が流れ込んでいるのに、出口が塞がれた格好になってしまいました。通り過ぎてくれるのを待つだけでは、いよいよ済まされない事態…。

 

新聞には慈善団体への寄付口座振込票が折り込まれ、facebookには主要駅でのボランティア探しの伝言が行き交い、国境には入国制限のために警官隊が派遣され…、そういう状況なのに、私はそうした難民がの大挙して押し寄せる光景に出会ったこともない。ワイナリーを訪ねて結構遠出もしているし、トライスキアヒェンなんか何度も車で通っているにもかかわらず、それらしきものに全く遭遇していない。配偶者、親、子、友人、同僚、同級生…といった世間的繋がりがことごとく希薄で、こちらの社会からはある種隔離されているため、そうした話題がなかなかクチコミでも入らない。

 

私の住む場所からほんの2030分で行かれる場所で起こっている大変な出来事がTVで映し出される度に、私は自分自身が透明人間であるかのような不思議な感覚に襲われるのです。


そして「こんな毒にも薬にもならないブログを書いているくらいなら、一日でも二日でも、どこかでボランティアを、人間として何かできることを為すべきではないか。いや、ドイツ語も満足に操れず体力にも自信がない人間は、足手まといになるだけ…」と、自問自答。

それにしても不思議な光景です。

 

グローバル化はここまで、こんなにおかしなカタチで進んだのか、と痛感します。

シリアの政治難民は、ネットの風評やらクチコミで「ドイツこそがパラダイス」と信じ込んでいるらしい。それが暮らしのままならぬ様々な周辺諸国の人々の口(=ソーシャルメディア)に乗って、さらに大量の経済難民が「パラダイス・ドイツ」を目指す。その多くが本気で徒歩でオーストリアからドイツに逃れる積りなのだ。溢れかえる難民の九割は、実は厳密な意味でのシリア難民ではない、とまで言われている。

 

欧州の移民&難民問題は、そうでなくても複雑かつ深刻です。

オーストリアでも、特にトルコ系移民の引き起こす様々ないざこざが問題になっている――ドイツ語を覚えようとしない、ゴミ出しの日を守らない、近所迷惑顧みず夜中に騒ぐ、近隣住民と小競り合いを起こす、etc, etc…。

私の目から見て、ごくごく普通のオーストリア人が、移民を歓迎しているとは正直全く思えない。疎ましく思いながらも正面切っては言いづらい、というところか。移民は移民で、またオーストリア人はオースリア人で、互いの存在を全く無視し、関わりを持たず、自分たちの世界の中だけで生きているようにも見える。

 

一方移民をたまらなく“おいしい”と思っている層もあるだろう。ドイツ語圏の労働者は権利意識が高い。日本などより一層ブラック企業は存在しづらいだろう。けれど、彼ら移民ならブラックだろうと生きるためなら何でもする。そこを見込んで呼び寄せる経営者がいるのだ。メルケルが80万人もの難民を前向きに受け入れるのは、そうした自国の経営者達のしたたかな計算も後ろ盾にあるのではないのか、と私は勘ぐる。

そして彼ら移民は、ひと度住民票さえ得たなら、出産と子育てに手厚い社会福祉制度を最大限活用し、やたらと子供を沢山産む。公共交通機関でお腹の大きい女性、乳母車を引いている女性に出会うと、そのほとんどはベールをまとったイスラム系の女性だ。このまま彼らの人口が増え続けるなら、そう遠くない未来に、トルコ系イスラム教人口が白人カトリック人口を押さえてしまうのではないか、とさえ思えてくる。

不気味な存在だ、脅威だ、と感じる人があっても、無理のないことだ。

 

そんな町の空気を吸っていると、対象は違えど、ヒトラーの思想がこの国で育まれたのも、感覚的に理解できる。

 

むしろ戸惑うのは、そうした移民に対する無関心とは180℃真逆に見える、難民へのヒューマニズムに根差した献身的で寛大で慈悲深い態度だ。

ことが難民問題になった途端、「私たちの前に居る難民は人間です。食べ物が、水が、ベッドが必要です。同じ人間として、できることをしましょう。」と、そういう呼びかけが、今オーストリアのメディアには溢れている。

いや、もちろん、それは人間的に正しい態度だ。疑いもない。

けれど、いつもの移民に対する冷淡さとのあまりのギャップが、なんとも不思議なのだ。

 

今日の午後行われたメルケルとの共同会見でのオーストリア連邦首相ファイマンのスピーチはなかなかの説得力があった。曰く;

「人道主義者であることは恥ずべきことではない。実際、その逆こそ真実だ。人道的な災厄がヨーロッパで起こっているときに目を背けて助けないことこそが恥ずべきことなのだ。行動を起こさないことは、多くの人々が心に抱くヨーロッパ・プロジェクトを危機に晒す。」

 

だけどなぁ…

 

ここで政治家に人道主義を持ち出されるのも納得が行かない。

人道的権利を守るのは政治家の責務ですが、何かこの人の言葉は、TV画面の向こうの、オーストリア国民の人道的良心に訴えかけているように私には聞こえました。「エコのために電気や水道、タオルやトイレット・ペーパーを節約しましょう」と、それらの不備&不便を利用者の良心に責任転換する安B & Bのやり口を、次元は違えど思い起こさせません?

 

今ヴェストバーンホーフで、ハイリゲンクロイツで、トライスキアヒェンで、難民に実際ベッドや食品、薬を与えているのは、カトリック系の慈善団体が募ったボランティアだったりする。そして彼らの財源は、ネット募金や通りすがりの一般人の寄附なのだ。


ところで、日本にこのニュースがどれだけ伝えられているのか…。ドイツのことまでは話題になっても、オーストリアのニュースってほとんど報道されないしなぁ…。ニュースになっていたところで、全く当事者意識がない、というか現実感が沸かないだろうなぁ。

 

でもこのご時世、いつ北朝鮮や中国の辺境地から難民が大挙して日本にやって来る事態が起こらないとも限りません。

その時あなたは、どう対応しますか? あなたの町でいきなり寝泊まりを始め、ずっとそこに居ついてしまうかも知れない言葉も通じぬ隣人に、温かい手を差し伸べられますか?

 

facefookの慈善サイトには、人的ボランティアは取り敢えず十分だが、運動靴とバナナが足りない、と告知がありました。

こんなに近くで起こっている大事件から目を背け、押しかけている人々を見殺しにするのは、さすがに気が咎める…。

明日朝激安スーパーでバナナを買って届けるか、サイト経由で涙ばかりの寄附をしようか…。

 

遠く日本からも、今オーストリアで起こっている歴史的大事件に目をつむってはいられない、という方のために、ここに寄付を募るリンクと、同じ慈善団体のfacebookリンクを貼っておきます。

 

以上、激震の走るオーストリアからお伝えしました。

 

次回はまたゲヌースマイレのお気楽なお題に戻ります>>